死生観と葬儀の関係

皆さんは普段、生きることとはなんだろうかという疑問や、あるいは年をとって死ぬ時はどうなるのだろうか、と考えることがおありでしょうか。

日本では平成18年に100万人あまりの方々が亡くなりました。そのうちの90%以上の方が病院で亡くなっています。私たちは普段生活を送る上で、めったに他人の死を目の当たりにすることはないですよね。また忙しい日常の中でそういたことを考えることはまれだと思います。

特に、日本は宗教や文化の上で、死をケガレとして隠す国民だと言われています。そのため、いつか必ずその時が来る自分の死を考える事も少ないのでは無いでしょうか。でも、死の際には誰しも平穏な気持ちでいたいと願います。

先人のおかげで、私たちは日本という整備された、比較的治安の良い国で平和な生活を享受しています。しかし、実は高齢化社会の中で限りある一生を全うするためには、死を見つめる事が以前よりも重要になってきていると思います。

日本人の平均寿命は83歳弱と言われます。先進主要国はロシアを除いてほぼ80歳前後です。医療等の発達と食糧の供給、そしてなによりも戦争、内乱のない暮らしを実現した国は、徐々に寿命が伸びています。また医療の世界では細胞の老化を防いだり、がん細胞を抑制する研究が進んでいますので、さらに先進国において寿命はさらに伸びると考えたほうがよさそうです。一説によると人間は、生まれてからストレスのない暮らしを続けると120歳くらいまで生きられるポテンシャルを持っているそうです。

しかし、臨床医学の第一人者である大津秀一先生は、死に際して平穏な気持ちで死を受け入れられるための条件をこう述べておられます。

「来世を信じられる事は絶対的ではないのでは無いか。一方関係存在(人と人のつながり)を実感する事は死を超越するのに大事な要素だと考えている。」

平穏な気持ちで人生の最後を締めくくるには、信仰心の強い人でも、平穏な心を得られることは難しい。それよりも、なによりも人と人のつながりを実感した人生が必要という事ですね。これは多くの患者に接してこられた経験からの言葉なのです。

ところが、高齢者社会が形成された一つの要員となっている家族の崩壊、独身で一生を過ごす方が増えている昨今の状況が、その障害になりえるのです。もしこのままそのような風潮が続いた場合、おそらくあなたが晩年を迎えるときには、家族という共同生活を築いた経験のない、個人主義の老人が増えており、他人と心を開きあって、共同の経験をすることが難しくなっている社会になっている可能性が高いのです。

「最近家族葬が人気なのは、消えつつある家族の絆を感じたいという、無意識の願望の現れなのかもしれませんね。」神奈川県で葬儀業を営む社長はそう言います。

ですので人は、今充実して生きるためには、また最後に平穏な幕をとじるために晩年を考え、自らの死生観を日々見つめ準備をしたいものです。そして、人と人のつながりの集大成ともいうべき葬儀を大事にすることが、平穏な最後を迎えるために重要ではないでしょうか。

さて、一言で「死生観(しせいかん)」といいますが、それはいったいなんでしょうか?

私の解釈は、「生」をどう感じているか、という事であり、そこには常に「死」の捉え方が表裏一体となって密接にあります。死生観は宗教や、その地域の政治的状況、文化や歴史に強く影響されると思いますが、

  1. 死後の世界はあるのか
  2. 生きることの意味

この2つの質問が普遍的で、特に大きな問題のように思います。この問題について考慮することが、ひいては人とひとのつながりを実感することになり、よりよい人生を生きることになるのではないか。そのように考え、このサイトでは、人間がいかに生と死を見つめてきたのか、先人たちの死生観や、それを取り巻く歴史を紹介し、考察していきたいと思います。

あなたはどのような死生観をお持ちでしょうか?

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