日本の臨死体験と葬儀

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日本の臨死体験と葬儀葬儀と家族

日本でも臨死体験は大昔から普遍的に語られています。その臨死体験が文献として記録されているのが、今昔物語集と宇治拾遺物語です。

今昔物語集とは

全31巻の平安時代末期の説話集。どの説話も「今は昔」という書き出しからはじまるため、便宜的に今昔物語集と呼ばれている。

今昔物語集の臨死体験

臨死体験というよりも生霊の話です。

男が京の四つ辻で女に会い、ある家までの道案内を頼まれる。家に着くと門は閉ざされており、どうしたものかと思っているうちに女が消えてしまう。しばらくするとその家で泣き騒ぐ声が聞こえてきた。不思議に思ったその男は翌朝、昨日の騒ぎは何だったのかとその家を尋ねていく。すると昨日、女を連れていった時にこの家の主人が「離縁後に自分を病にさせていた元妻が現れた」と騒ぎ立てて間もなく死んだという。

女がこの家に実際にやってきたという事実はない。そのことを不思議に思った男は死んだ主人の元妻を尋ねていく。女に話を聞くと「確かにそういうことがあった」と認めた。この男が京の四つ辻で出会った女は死んだ主人に捨てられたこの女の生霊だった。この女はそうした体験があり、ことの顛末を自覚していた。

 

宇治拾遺物語とは

中世日本の説話物語集で13世紀中頃に成立しました。幼少の頃に聞いた「こぶとりじいさん」や「わらしべ長者」、「雀の恩返し」など馴染み深い昔話も含まれています。

宇治拾遺物語の臨死体験

昔、生き物の命を奪うことを生業としていた男がいた。鹿を狩り、鳥を取り、少しの善根も持ち合わせていなかった。
ある日、馬を走らせ、狩りに出て鹿を追った。鹿を追いかけていくと、道中に寺があり、地蔵菩薩が立っていた。いささかの帰依心を起こし、鹿を射るのはやめた。その後、男は病床につき、ひどく苦しみ命絶えた。

冥土に着くと閻魔庁に引き出された多くの罪人が罪の軽重に従って、むごく罰せられている。自分の一生の罪業を思い浮かべると、たまらなく涙がこぼれてきた。そんな中、一人の僧が現れ、「おまえを助けよう。早く故郷へ帰り、罪を懺悔せよ」と言う。男は僧に「貴方はどなたで、そのように仰せられるのですか」と尋ねると、僧は「我はおまえが鹿を追って寺の前を通り過ぎたとき、寺の中におり、おまえに見えた地蔵菩薩である。おまえの罪業はとても重いものではあるが、わずかながらも我に帰依の心を起こした功徳により、おまえを救おうとしている」と言った。

男は蘇生した後、殺生を長く断ち、地蔵菩薩にお仕えしたという。

今昔物語集は因果応報、宇治拾遺物語は地獄という概念や生前の善行によって救済されるという説話です。古今東西を問わず、こういったストーリーがあるのが面白いところです。